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ブログ/ニュース


ずっと言えなかったあの言葉を、40年振りに伝えた話
ずっと心の中で「いつか伝えないと」と思いながらも、言えないまま時が流れてしまっていた想いがありました。 その年月、実に40年。 日常のふとした瞬間に思い出しては、小さなトゲのように胸の奥に引っかかっていたあの日の記憶。ついにその想いを仲間に伝えることができました。 今日は、そのときの気持ちや、一歩を踏み出して感じたことを少し書いてみようと思います。 私は、全日本大学バレーボール連盟と関東大学バレーボール連盟の委員長を務めました。 通称「学連」です。大学バレーボールの縁の下の力持ちです。 仲間に伝えるべき思いを伝えずに卒業してしまい、40年という年月が過ぎておりました。 全日本大学バレーボール連盟 https://volleyball-u.jp/ 関東大学バレーボール連盟 https://kanto.volleyball-u.jp/ 先日、当時の後輩たちが私を誘って、学連の同窓会を開いてくれました。 とてもうれしく、この思いを伝えたく出席してきました。 なぜ、40年言えなかったのか 当時の自分は若く、自分の気持ちに素直になれなかったり、どう言葉にし
8月14日


【震災から31年】「映画だと思った」あの日から、鉄骨に込める祈りまで
31年目の朝に 今日、1月17日を迎えました。 阪神淡路大震災から、早いもので31年が経ちます。 毎年この日が来ると、当時の記憶が鮮明に蘇り、改めて「当たり前の日常」の尊さを考えずにはいられません。 1995年1月17日、あの日の記憶 あの日、目を覚ましてテレビをつけた時の衝撃を、今でも忘れることができません。 画面に映し出されていたのは、広範囲に広がる火災と煙。 最初は現実のこととは信じられず、 「どこかの映画のワンシーンを見ているのではないか」 、そう錯覚するほど、目の前の光景は非現実的でした。 しかし、現実はあまりに過酷でした。 特に、崩落した阪神高速道路の端で、いまにも落下しそうになりながら止まっているバスの映像を見たとき、「とてつもなく恐ろしいことが起きてしまったのだ」と、震えるような感覚を覚えたのを昨日のことのように思い出します。 語り継がれた「痛み」 震災から数年後、私は9人制バレーボールチームを率いていました。 その活動を通じて、兵庫県をはじめとする被災地のチーム関係者の方々と接する機会が多くありました。 そこで耳にしたのは、テレ
1月17日


バレーボール・ネーションズリーグに興奮
バレーボールの観る楽しさって何だろう? 思わず、画面に声がでてしまうのはなぜでしょうか。 今週は女子チームが、来週は男子チームの試合が、とても楽しんでおります。 私が感じる、「観る」楽しさってなんだろうと考え、言語化してみました。 スピーディーな攻防と予測不可能な展開...
2025年7月26日
パリ五輪・男子バレーボールから学んだこと。
中学、高校、大学、社会人とバレーボールに取り組んできた私にとって、昨夜の試合は感動以上のナイスゲーム。選手たちは「ナイスガイ」だった。 東海大学バレーボール部の後輩であるセッターの深津、ミドルブロッカーの小野寺が出場しており、山形出身の高橋健太郎選手も出場しており応援にも力...
2024年8月6日
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