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【震災から31年】「映画だと思った」あの日から、鉄骨に込める祈りまで

  • 1月17日
  • 読了時間: 2分
31年目の朝に

今日、1月17日を迎えました。 阪神淡路大震災から、早いもので31年が経ちます。 毎年この日が来ると、当時の記憶が鮮明に蘇り、改めて「当たり前の日常」の尊さを考えずにはいられません。


1995年1月17日、あの日の記憶

あの日、目を覚ましてテレビをつけた時の衝撃を、今でも忘れることができません。 画面に映し出されていたのは、広範囲に広がる火災と煙。 最初は現実のこととは信じられず、「どこかの映画のワンシーンを見ているのではないか」、そう錯覚するほど、目の前の光景は非現実的でした。


しかし、現実はあまりに過酷でした。 特に、崩落した阪神高速道路の端で、いまにも落下しそうになりながら止まっているバスの映像を見たとき、「とてつもなく恐ろしいことが起きてしまったのだ」と、震えるような感覚を覚えたのを昨日のことのように思い出します。


語り継がれた「痛み」

震災から数年後、私は9人制バレーボールチームを率いていました。 その活動を通じて、兵庫県をはじめとする被災地のチーム関係者の方々と接する機会が多くありました。

そこで耳にしたのは、テレビの画面越しでは分からなかった、生々しい現実でした。

  • 「大切な友人を亡くした」という言葉。

  • 「住んでいた会社の寮が崩壊した」という震えるような体験談。

直接お話を伺うことで、天災の本当の恐ろしさ、そして失われたものの大きさを、改めて深く、重く、認識させられたのです。


今、鉄骨加工に携わる者として

時を経て、私は今、鉄骨加工という仕事に携わっています。 私たちが作っているのは、建物の「骨組み」です。それは、そこに住む人、働く人の命を守る最後の砦でもあります。

工場から出荷される鉄骨を積んだトレーラーを見送る時、私はいつも心の中でこう願わずにはいられません。

「どうか、大きな地震が来ても、しっかりと耐えてくれよ」

31年前のあの光景を知っているからこそ、自分たちが手がける製品の重みを、単なる「材料」以上のものとして感じています。

最後に

天災を完全に防ぐことはできません。 しかし、過去の教訓を忘れず、今の仕事に誠実に向き合い続けることが、未来の誰かを守ることに繋がると信じています。

震災で亡くなられた方々へ改めて哀悼の意を表するとともに、今日という日を大切に過ごしていきたいと思います。

私たち<ア・クリエイティブ(代表 正野晶久)キャリアコンサルタント>は「一人ひとりがいきいきと輝ける社会の実現」に向けて、山形県全域でキャリアカウセリングと人材紹介・転職支援を行っています。

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